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富山地方裁判所 昭和31年(ワ)47号 判決

原告 加藤金次郎

被告 国 外一名

国代理人 真鍋薫 外三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一、原告訴訟代理人等は、「被告日本電信電話公社は原告に対し、別紙目録記載の土地につき昭和三十年五月三十日富山地方法務局申請受付第三七八二号をもつてなされた同月二十八日付買収による所有権移転登記手続の抹消登記手続をせよ、被告国は原告に対し別紙目録記載の土地につき昭和三十一年二月二十七日富山地方法務局申請受付第一二〇九号をもつてなされた交換を原因とする所有権移転登記の抹消登記手続をせよ、訴訟費用は被告等の負担とする」との判決を求め、その請求の原因として、別紙目録記載の土地(以下「本件土地」と略称する)は原告の所有する土地である。然るに右土地につき昭和三十年五月三十日富山地方法務局申請受付第三七八二号をもつて、被告日本電信電話公社(以下「被告公社」と略称する)に同月二十八日付買収を原因としてその所有権移転登記手続がなされ、更に昭和三十一年二月二十七日同地方法務局申請受付第一二〇九号をもつて、被告国に交換を原因としてその所有権移転登記手続がなされている。右所有権移転登記手続はいずれも所有権者である原告の全く不知の間になされたもので無効であるから、被告等に対し右各登記の抹消登記手続を求めるため本訴訟請求に及んだ、と述べた。

二、被告公社選任代理人等及び被告国指定代理人等は、いずれも「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁として

(一)、原告主張の請求原因の中、被告公社及び被告国に順次原告主張のとおり本件土地の所有権移転登記手続がなされていることは認めるが、その余の点は否認する。

(二)、被告公社及び被告国が本件土地につき登記を経由した経緯は次の通りである。即ち被告公社は国所有の富山市桜橋通二番地の一宅地七百二十四坪余に富山電報電話局を建設したいため、その所有者国(直接には金沢郵政局)と話合い、その結果国は逓信病院を建築したいので適当な土地約千五百坪を被告公社の方で提供すれば右宅地(桜橋通二番地の一)との交換に応じてもよい、との意向であつた。それで被告公社としては右交換適地として本件土地を含む原告所有の十二筆の宅地、田実測坪数七百六十坪余(以下原告所有の土地という)及び訴外須田徳次外三名所有の宅地合計六百四十五坪余の土地を挙げ各所有者と買収交渉を進めることとなつた。昭和二十八年十一月下旬頃被告公社は富山電気通信部庶務課勤務の訴外根塚三郎をして東京都大田区北千束の原告宅において原告及び原告の子訴外加藤熊雄と面会させ、原告において原告所有の土地につき売却の意思があるかどうかを打診させたところ、隣接地主が買収に応ずるのであれば、原告においても買収に応ずる意向があることが判明した。そこで更に昭和二十九年三月中旬被告公社は北陸電気通信局建築部長早崎武夫、同部山田三郎及び前記訴外根塚をして再び右原告宅に原告及び訴外熊雄を訪ねさせ、原告所有の土地の譲渡方交渉させたところ、原告においては被告公社に対し売却することは敢えて拒否しないが、被告公社の評価する坪一万五千円では不満で少くとも坪四万円を希望するということであつたため、価格の点について折合がつかず、被告公社としては一応原告所有の土地の買収を見送ることとした。ところが、昭和二十九年十一月下旬原告の甥訴外飯坂重登志が富山電気通信部長太田久広に対し、原告が原告所有の土地の売却を熊雄に一任した旨話したので、同年十二月二十四日頃被告公社は前記早崎をして右訴外飯坂立会の上訴外熊雄と原告所有の土地の売買につき話合をさせたところ、訴外熊雄は原告所有の本件土地の売却については原告から一切委されており、原告の実印も領つている旨述べたので、右早崎は原告所有の土地の売却について訴外熊雄と交渉を重ねた結果、価格の点について折合がついた。そこで被告公社は慣例に従い訴外熊雄に対し原告所有の土地に対する原告の売渡承諾書の交付を求めたところ、訴外熊雄において昭和三十年二月二日頃前記訴外飯坂を介し被告公社に右承諾書を交付し、原告所有の土地に対する原告の意思が確認されたので、被告公社は同年五月二十八日訴外熊雄を原告の代理人として原告との間に原告所有の土地の売買契約(以下「本件売買契約」と略称する)を締結し(代金千百四十六万五干円)、同月三十日所有権移転登記を経由し、翌六月一日右代金の支払をしたのである。次で昭和三十一年二月十四日被告公社は被告国との間に前記約旨に従い被告公社が買受けた本件土地を含む約千五百坪の土地と、国所有の前記富山市桜橋通二番地の一宅地約七百二十四坪との交換契約を結び、同月二十七日国に対し本件土地を含む右約千五百坪の土地の所有権移転登記手続を経由したのである。

(三)、従つて、(1) 、原告は当初被告公社の原告所有の土地買受交渉に訴外熊雄と共に交渉を重ねた上、その後の被告公社との原告所有の土地売買の接渉につき訴外熊雄に代理権を授与したものであるから、被告公社が原告の代理人訴外熊雄との間になした本件売買契約は有効である。(2) 、仮に訴外熊雄に代理権がなかつたとしても、原告は前記のとおり当初から訴外熊雄と共に原告所有の土地の売買交渉につき被告公社に応接したものであり、且つ原告はすでに七十余才の老令で雑務に堪え難く、その子である訴外熊雄は当時三十八才の壮年であるから右のような状況で交渉を進めた以上、原告が訴外熊雄に細部の交渉をなさしめたものとして同訴外人に代理権を与えた旨の表示をなした場合に該当するというべく、かく信ずるにつき被告公社は善意無過失であるから民法第百九条の規定により訴外熊雄が原告の代理人として被告公社となした本件売買契約につき原告は責任がある。(3) 、仮に右の点が理由なしとするも、従来訴外熊雄は原告を代理して原告所有の動産、不動産の管理処分行為をなしていたもので、被告公社としては一般に原告の財産処分につき訴外熊雄に代理権があるものと信じていたものである。従つて原告が訴外熊雄に本件売買契約の締結につき代理権を与えたことがないとしても、被告公社は右の点及び原告と訴外熊雄とが親子であること、並びに前記の本件売買契約が成立するに至つた経過等から被告公社が訴外熊雄に本件売買契約につき原告の代理権ありと信じ、且つかく信ずるにつき過失はないのであるから、本件売買契約につき原告はその責を負うべきである。以上いずれの点よりするも、訴外熊雄と被告公社との間の本件売買契約は有効に成立したものであるからそれに基いてなした本件土地に対する被告公社及び被告国の前記各所有権移転登記も有効であり抹消せらるべき理由はない。したがつて原告の本訴請求はいずれも失当として棄却せらるべきである。

と述べた。

三、原告訴訟代理人等は被告等の右主張に対し

(一)原告の子訴外熊雄が、昭和三十年五月二十八日原告の代理人と称して被告公社との間に本件売買契約をしたことは認める。しかし、訴外熊雄は本件売買契約をするについて原告より代理権を与えられたことがないのに、原告の代理人であると被告公社を欺いて本件売買契約をしたものである。即ち、原告は少壮時から土木建築事業に専念し幾多の工事を完成し現在多くの不動産を所有しているものである。そして訴外熊雄(事実上の長男)、同誠明(事実上の二男)、他二女が生存しているが、訴外熊雄及び同誠明はいずれも定職、収入、資産等殆どなく、現在に至るまで原告の資産に依存寄生してその生活を維持しておるものであるところ、右両名は他の姉妹の夫等特に訴外永田鉄三と相謀り、原告の全財産を奪取しようと企てるに至つた。そしてその企図実現のため、先ず訴外熊雄、同誠明は原告を精神病者なりと偽称し、その治療をなすとの美名の下に、埼玉県毛呂精神病院長訴外丸木清美と協議の上昭和二十九年九月十二日原告の居宅(東京都大田区北干束五百六十九番地所在)に乗込み、数名にて原告の手足を捉え鎖痛剤を注射して無抵抗に陥らしめ、自動車に連れ込み右毛呂病院に強制拉致し、爾来昭和三十年九月二十六日まで一ケ年余の間右病院に不法監禁し、その間において原告に無断で、昭和二十九年九月十四日原告の住所を東京都大田区久ケ原九百九十四番地に移転したように届出た上、同年十一月四日東京都大田区役所久ケ原支所に原告の印鑑届をなし、ほしいまゝに原告の印鑑証明書を入手できるように準備した。偶々訴外熊雄は、被告公社において原告所有の土地(本件土地を含む)の入手方熱望しているのを知るや原告の代理人であると被告公社を欺いて原告所有の土地の売買につき被告公社と交渉をし、昭和三十年二月二日原告名義をもつて原告所有の土地につき代金千百四十六万五千円の売渡承諾書(乙第三号証)を偽造作成の上、原告の印鑑を押捺して被告公社北陸電気通信局長渡輝雄に交付し、同年五月二十七日原告名義の原告所有の土地に対する所有権移転登記承諾書(甲第二号証)を偽造作成し、原告の印鑑を押捺し、ほしいまゝに交付を受けた原告名義の印艦証明書を添付して右局長渡輝雄に交付し、同月二十八日何等代理権を有しないのに拘わらず原告の代理人として右渡輝雄との間に原告所有の売買契約書(乙第一号証)を作成して取交し、右売買代金千百四十六万五千円をほしいまゝに受領して取得したのである。そして被告公社においては訴外熊雄から交付を受けた土地所有権移転登記承諾書に基き同年五月三十日富山地方法務局申請受付第三七八二号をもつて本件土地の所有権移転登記手続をなしたものである。右のとおり本件売買契約は所有者である原告を前記毛呂病院に不法監禁中(昭和二十九年九月十二日から昭和三十年九月二十六日まで)何等の権限をも有しない訴外熊雄等によつてなされたものであるからその無効であることは事理明白である。

(二)、被告等は、原告において原告所有の土地の売買につき訴外熊雄に代理権を与えた旨表示しているから、民法第百九条の規定により本件売買契約につき原告に責任がある、と主張するが、原告は原告所有の土地の売渡しを熊雄に委任(代理権の授与)する旨述べたことは一度もなく、又昭和二十九年九月十二日以降売買完結までの間には、被告公社吏員は原告と一度も会つておらず、原告から売渡しを承諾する旨の意思表示は一度もしていない。もつとも、被告公社において原告所有の土地を是非とも買入れたい希望を有し、訴外熊雄に原告への口添援助を依頼し、訴外熊雄の案内により被告公社吏員等は原告と会見したけれども、原告は原告所有の土地の譲渡を承諾しなかつたものである。即ち当時被告公社は坪当り一万円前後にて買受けたき意思表示をなしたのに対し、原告は坪当り四万円と述べ、被告公社が到底買受けできない価格を述べたもので、右四万円と述べたのは結局売渡さないとの意思表示である。更に被告公社は原告が訴外熊雄に原告所有の土地の売渡契約をなす権限を委任したかどうかを原告に確めたこともない。殊に原告と交渉するにつき直接面会した原告の住所と、本件土地の売買契約書、売渡承諾書印鑑証明書等に記載の原告の住所とが全く異つているに拘らず、これをすらも調査せず本件売買契約を締結したことは被告公社の重大なる過失で民法第百九条により保護されるいわれはない。従つて、被告等の前記主張は理由のないものである。

(三)、次に被告等は、訴外熊雄が原告を代理して原告所有の動産、不動産の管理処分行為につき訴外熊雄に代理権があると被告公社において信じても、それは正当であるから、本件売買契約につき原告にその責がある、と主張する。しかし、原告は、自己所有の不動産の売却につき訴外熊雄に代理権を授与したことは一度もなく、又原告の印鑑の使用を許容した事実もないから被告等の右主張も理由がない。と述べた。

四、証拠〈省略〉

理由

昭和三十年五月二十八日原告の子である訴外加藤熊雄が原告の代理人と称して被告公社と本件売買契約(原告所有の土地即ち本件土地を含む原告所有の十二筆の宅地、田実測坪数七百六十坪余の売買契約)をしたこと、本件売買契約に基き本件土地につき昭和三十年五月三十日被告公社が富山地方法務局同日受付第三七八二号をもつて所有権移転登記を経由したこと及び昭和三十一年二月二十七日被告国が同地方法務局同日受付第一二〇九号をもつて本件土地につき交換を原因とする所有権移転登記を経由したことについては当事者間に争がない。

そこで先ず訴外熊雄が本件売買契約を締結するにつき原告を代理する権限を有していたかどうかについて判断する。

成立に争のない甲第一、二号証、甲第七号証の二、乙第七号証の三に証人加藤熊雄、同根塚三郎、同太田久広、同早崎武夫、同加藤誠明の各証言を綜合すると、被告公社は富山電報電話局建設敷地として当時被告国(郵政省)所有の富山市桜橋通二番地の一宅地七百二十四坪余を入手したいと考え、昭和二十七年十二月頃金沢郵政局にその譲渡方を申入れた。当時郵政省としては右宅地に逓信病院を建設したい計画であつたので、被告公社の右申入れに対し、旧富山市内で交通の便の良いところで病院敷地千五百坪位を被告公社の方で提供しそれとの交換なら応じてもよい意向を示した。被告公社では郵政省の右希望に副う土地を物色した結果原告所有の土地及びそれに隣接する土地合せて約千五百坪の土地が最も適地であると考えた。そこで右土地の買収を計画し、先ず大口所有者である原告の意向をたゞすべく、被告公社富山電気通信部局舎係根塚三郎を昭和二十八年十一月末頃東京の原告宅に赴かせた。右根塚は訴外熊雄の案内で東京都大田区北千束の原告宅に行き原告と会い郵政省の買収計画を話したところ原告は「隣接地の買収はどうなつているのか、隣接地の方がまとまれば相談に応じよう」と述べた。その後昭和二十九年三月中旬被告公社は、年度末で予算の都合から原告所有の土地の買収を急ぎ、これが交渉のため北陸電気通信局建築部長早崎武夫、前記根塚及び外一名を原告方に赴かせた。右早崎等は訴外熊雄と同道して原告宅に行き原告と交渉したところ、原告は隣接地の未買収を責めたが、早崎等の熱心なる交渉に「それなら坪四万円なら譲ろう」と申向けた。しかし右の価格は被告公社の予定価格坪当り一万円程度と甚しい差異があつたため早崎等と原告との交渉は結論を見ないまゝ物分れとなつた。その後被告公社では原告所有の土地の隣接地の買収に努力しているうちに昭和二十九年十一月末頃富山県滑川市に住んでいる原告の甥訴外飯坂重登志が富山電気通信部長太田久広に「本件土地の買収はどうなつているのか、原告の方では売る気になつているらしい」と話したので、右太田は前記早崎にその旨を伝え、なお右太田は訴外飯坂から訴外熊雄が同年十二月二十四日頃富山県の方に来るという連絡を受けたので、早速訴外熊雄と右早崎との交渉の機会を得べく努力し、その結果その頃富山電気通信部で右両名は訴外飯坂、太田、根塚ら立会の上原告所有の土地に対する売買につき話合つた。その際訴外熊雄は早崎に「自分は原告所有の土地の売買に関して原告(父)から任せられ、原告の実印も持つている実印は用済次第返さなければならない、原告は坪二万円でなら売るつもりだ」と述べたので、早崎においては原告所有の土地の売買については訴外熊雄と交渉すればよいと考え、その翌日も訴外熊雄と売買につき、交渉した結果坪当り一万五千円で原告所有の土地を売買するという一応の話合が訴外熊雄と早崎との間に成立した。その後昭和三十年一月三十一日被告公社は、土地譲渡の内諾を得た場合売主の承諾書を貰うという慣例に従い、当時滑川市に来合せていた訴外熊雄に右承諾書の交付を求めたところ、訴外熊雄は「隣接地の買収価格はいくらか、それを聞かないと父(原告)に説明できない」旨述べたので、被告公社においてこれを説明したところ、その後同年二月二、三日頃訴外熊雄より訴外飯坂を経て被告公社に右承諾書の交付があつた。そこで、被告公社としては、原告が原告所有の土地を被告公社に売却する意思でいること及びこの売却については訴外熊雄が原告を代理する権限があること、を確信して同年五月二十八日訴外熊雄(原告代理人として)と被告公社との間に本件売買契約を締結し、同月三十日訴外熊雄より本件土地につき所有権移転登記手続を受け、同年六月一日被告公社は右売買代金千百四十六万五千円を訴外熊雄に支払つた。一方原告は昭和二十九年九月十二日訴外熊雄等によつて精神病者であるとして埼玉県毛呂病院に入院させられ、翌三十年九月十二日頃まで同病院に入院していたもので、原告所有の土地の売買に関しては前記昭和二十九年三月中旬早崎と会談した後は関与せず、又訴外熊雄より相談を受けることもなかつたのである。従つて、その後における前記訴外熊雄の原告所有の土地売買につき被告公社との交渉は、訴外熊雄において原告に無断でなしたものであり、訴外熊雄が本件売買契約に関し使用した原告の印鑑は、右熊雄が偶々富山県滑川市の原告所有の家屋(現在訴外永田一枝が居住)内で発見した原告の印を原告の承諾なくして届出で、それに基いて印鑑証明の交付を受けてこれを使用したものであること、が認められる。

証人加藤熊雄、同加藤誠明の証言中、原告が原告所有の土地を被告公社に売却するにつきその交渉方を訴外熊雄、同誠明に委任した旨の部分は信用できないところであり、又その記載によつて本件売買契約に関し作成された書類であること明白な乙第一号証の二、乙第三号証甲第二号証中原告名下の印影は、前記認定の通り訴外熊雄においてはほしいまゝに押捺したものであるから、右各号証により本件売買契約につき訴外熊雄に原告の代理権があつたと認定することはできず、他に前記認定を左右するに足る証拠がない。

右認定事実によれば、訴外熊雄は、本件売買契約については原告を代理する権限が無かつたのに拘らず、原告の代理人として被告公社と同契約を締結したものとしなければならない。

そこで、民法第百九条により本件売買契約につき原告に責任があるとする被告等の主張について考えてみる。前記認定したところによつては、原告が、本件売買契約につき訴外熊雄に代理権を与えた旨被告公社に表示したものとすることはできないし、他に右表示したことを認めるに足る証拠がないので、被告等の右主張は採用できない。

次に、被告等は、従来訴外熊雄は原告を代理して原告所有の動産、不動産の管理処分をなしていたものであり、これに原告と訴外熊雄が親子関係にあること及び本件売買契約成立の経過等を考慮するときは、被告公社が当然訴外熊雄に原告を代理する権限があるものと信じて本件売買契約を締結したことについては善意無過失であるから正当であり、本件売買契約につき原告に責任がある、と主張するので考えてみる。証人加藤熊雄、同誠明、同村秀三、同飯坂寅明、の各証言を綜合すると、訴外熊雄は昭和二十五年春頃から昭和二十九年頃までの間に、原告が富山県滑川市の倉庫に保管していた原告所有の土木用機械類を、原告の命を受けて訴外飯坂を補助者として屡々売却、その売却代金を、自己の生活費を差引いて原告に渡していたこと、その金額も多い時は万円円以上の場合もあり、売却代金総計は一千万円にも達するものであること、訴外熊雄の売却処分はその都度原告から品物を特定され、それに基いて処分していたことが認められる。被告等は訴外熊雄が原告の不動産も処分したが如く主張するもこれを認めるに足る証拠がない。そうすると訴外熊雄の右処分行為はその都度原告から代理権を授与されてなしたものと推認される。そして、その代理権は、当該各売却処分が終了した時消滅し、又特定された物以外には及ばないものであるとしなければならない。被告公社は、前記認定のような本件売買契約成立の経過により、訴外熊雄に本件売買契約につき原告の代理権があると信じたものであるが、なお証人早崎武夫、同太田久広の証言によると、早崎、太田を通じ被告公社は本件売買契約の際、訴外熊雄において右認定の代理権(売却処分により消滅するものであるということは知らない)を有していたことを知つて居り、このことも訴外熊雄に本件売買契約につき代理権があると信ずるに至つた一の理由となつていたことが認められること、又成立に争のない甲七号証の一によると原告は明治十七年五月一日生であり、証人加藤熊雄の証言によると訴外熊雄は大正六年五月二三日生であることが認められること、右事実と前記認定の本件売買契約成立の経過とを併せ考えるときは、被告公社が本件売買契約につき訴外熊雄に原告代理権があつたと信じたのは正当の理由に基くものとするのが相当である。もつとも、訴外熊雄が有した代理権は本件売買契約の際既に消滅し、又本件売買契約は訴外熊雄の有した代理権の範囲外のものであるから、民法第百十条又は第百十二条を直ちに本件に適用して、原告に本件売買契約につき責があるとすることはできない。しかし、右各規定の法意は代理権の消滅後従前の代理人がなお代理人と称して従前の代理権の範囲に属せざる行為をなしたる場合においても、若し右代理権の消滅につき善意無過失の相手方において諸般の事情に照し自称代理人の行為につきその権限ありと信ずべき正当の理由を有する場合においても之を類推適用して、当該の代理人と相手方との間になしたる行為につき本人をしてその責に任ぜしむるのが相当である(大審院昭和十九年十二月二十二日民事聯合部判決参照)ので、本件売買契約については原告に責があるとしなければならない。

原告訴訟代理人等は早崎が昭和二十九年三月頃原告宅に本件土地の譲渡方交渉に赴いた際原告において早崎に対し、「坪当り四万円でなら売ろう」と申向けたこと、右早崎が右交渉に赴いた原告の住所と、本件売買契約の際の訴外熊雄によつて表示された原告の住所とが相違すること、同年三月頃以降被告公社の係員は一度も原告と会つていないこと、原告に訴外熊雄の代理権につき確認の手続をしなかつたこと及び原告が前記毛呂病院に入院させられている間に本件売買契約を締結したものであること等から、被告公社が訴外熊雄に代理権ありと信じたことにつき重大なる過失ある旨主張するが、そして右事実は前記のように認められるところであるが、右各事実の存在によつて、被告公社の誤信に過失があるとすることはできないので、原告の右主張は採用しない。

そうとすれば、原告は本件売買契約により本件土地の所有権を失つているものであり、本件土地につき原告が所有権を有することを前提として、被告等に対し本件土地についての所有権移転登記の抹消手続を求める原告の本訴請求は、既にその前提を欠くもので爾余の点を判断するまでもなく、失当として棄却すべきものとする。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 布谷憲治 斎藤寿 矢代利則)

目録〈省略〉

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